期待と不安が入り交じっているところに、日々いろんな事が起きますから、不安や心配は尽きません。僕の元にも、多くの相談が寄せられます。
そんな時、僕は実体験から、こうアドバイスをしています。
不安になるのは、それだけ一生懸命な証し。
いまここに失いたくないくらいの「幸せ」がある証拠。
心配になってしまうのは、自分も相手も信じたい証し。
未来を信じたい証拠。
だから、無理に不安をなくさなくていいと。
かつての僕は、不安を無くすために必死でしたが、いろんな経験を経て、この不安の中には「柔らかい感受性」があって、この感受性があるからこそ、安らぎや幸せを感じることができるんだと気づきました。
それ以来、無理に不安をなくそうとせず、まずは、不安になるくらい頑張っている自分を認めて、自分を応援することが大事だと思っています。
自分に愛を向けることができれば「きっとうまくいく」と信じています。
]]>本当は見つけたいのに、見つけられない自分が恥ずかしくて、無難にやり過ごすことを覚えて、できない自分を見ない生き方になっていきました。
そんなある日。
ベンチで休憩していた時に、三つ葉のクローバーたちから、
「四つ葉だけが素晴らしいわけじゃない」
と語りかけられた気がしました。
そこで僕は、特別なものばかりを追い求めていたことを思い知りました。
同時に、自分が自分の本当の気持ちをごまかしたり、諦めたりしていたことがカッコ悪くて、恥ずかしかったことを思い知りました。
この年になって、ようやく駄目な自分やカッコ悪い自分、恥ずかしい自分をありのまま認められるようになりましたが、時間がかかりました。
いろんな体験のおかげで、自分に素直でいることや自分を信じて応援し続けることの大切さに気づけました。
できない自分やカッコ悪い自分をも応援できることが、自分を愛することだとわかりました。
]]>ツリーだけ出すつもりが、余計なものまで引っ張り出して、荷物の山になってしまいました。
この機会に断捨離をしようと「要るものと要らないもの」を見極めましたが、処分するモノの山を見てびっくり。
その量に驚いたのはもちろん、自分が幸せになるために買ってきたモノのつもりが、実は「幸せに見られる」ために買ってきたモノの方が多かったことに気づきました。
どうやら僕は、自分が「幸せになるモノ」よりも、他人からの目を気にしたり、まわりのブームに流されたり、誰かのお勧めで買ったり、とりあえず適当なモノを買ったりして、その場だけで満足して、そして飽きたら押し入れに入れるようになっていたんだと思い知りました。
もちろん、中には大切なモノもあり、ずっと大切にしているモノもあります。
でも、この現実を目の当たりにした時に、これからは、自分の心が震えるモノを厳選して、自分が最高にハッピーになれるものに囲まれて、幸せに過ごしたいなって思いました。
僕自身も努力して頑張って、色んな経験を得ることができましたし、そのおかげで、成長することもできました。
しかし、かつての僕は「満足したら終わり」「満足したら成長が止まる」という思い込みがあったため、いつもどこか気が抜けない、苦しい日々でした。
自分のできないところや、未熟なところを指摘して、自分を否定して「まだまだ」「もっともっとできる」そう言い聞かせて奮い立たせていたのですから、苦しくて当然ですよね。
そうして40歳を越えた頃から、こんな生き方を続けていては、自分がかわいそうだと思いましたし、逆に、満足しても成長できることを知って、その満足感や達成感こそが、次へのエネルギーに変わることを体感しました。
僕たちは、困難を乗り越えるために生まれてきたのではなく、幸せになるために生まれてきました。
だからこそ、時に努力や頑張りも必要ですが、頑張り過ぎの時には立ち止まり、自分で自分をねぎらって、ここまで来た自分に、自信と誇りを持つことが大切だと思います。
発症後、8度の手術と4年間の絶食生活を強いられ、あまりの苦しさに、生きる気力を失い、頑張る力を無くしてしまいました。
そんな時「私が頑張るから、あなたは大丈夫よ」と応援されたことがありました。
それまで、周りからは「頑張れ!頑張れ」と応援され続けて、うんざりしていましたが、彼女だけは違っていました。
「あなたはすでに十分頑張っているから、これ以上頑張らなくていい!私が祈ることを頑張るから大丈夫よ」。そう言って、全身全霊で祈り続けてくれました。
病気というのは、本人はもちろん、周りにとっても大きな試練になります。
大切な人ほど、何もできない自分にもどかしさを感じて、身を切られるような辛さや苦しさを感じます。
そんな時、彼女のように「祈る」ことができたら、もしかすると、祈る側も救わるのかもしれません。
心配するエネルギーを信頼するエネルギーに変えることができれば、きっとその祈りは通じますから。
どうしてこんなにも差が出るのでしょうか。
それは、心が目に見えないから、その傷の深さに気付きにくく、勝手に治るものだと思い込み、自分で何とかしなければいけないと思っているからでしょう。
これまで3万件を超えるカウンセリングをしてきましたが、真面目で責任感の強い人ほど、まわりに頼ることや休むことに罪悪感を抱き、たった一言「助けて」と言うことが難しそうでした。
そんな人たちに、「『助けて』と言うのは『自分に対する勇気であり、相手に対する信頼ですよ』」と言い続けてきましたが、それでもやっぱり「助けて」と言えない人が多くいました。
「せめて大丈夫なフリはやめて下さい」「無理に笑うこともやめて下さい」とも伝えてきましたが、今はみんなが大変な時期ですから、それも難しそうです。
でもどうか、これだけは覚えておいてほしいです。